重要指名手配犯の桐島聡を確保(48年逃亡)

重要指名手配犯の桐島聡を確保
死亡直前まで48年間逃げ切る氷川きよしさん似の男
日本に15名ほどいる
”重要”指名手配犯の一人
1970年代に起きた連続企業爆破事件こと
(東アジア反日武装戦線メンバー)

桐島 聡(70歳)
(きりしま さとし)
と見られる男の身柄を確保した事が分かりました
(2024/01/25付)
神奈川県鎌倉市にある病院に「偽名」で入院していたようでした。
偽名は「内田洋(ウチダ ヒロシ)」と名乗っており、40年前から使っていたようです。
それも入院する前まで平然とバレずに神奈川県藤沢市の工務店(土木工事会社)に住み込みで、40年も前から働いていたというのです。
勤務先から、すぐ近くにある古い木造2階建ての6畳一間の寮で一人暮らしをしており、逃亡犯の身ですから銀行口座を持っておらず(作れず)に給料は現金手渡しでもらっていた。
銭湯には毎日、欠かさず通っており、仕事仲間とは冗談を交わして「うっちゃん」と呼ばれていたようです。
時には自販機の釣り銭を触っている所を近所の人に見られたりもしていました。
車や重機は運転せず、自らは会話を交わなかったが「やさしい口調」だったとの事です。
月に1回の楽しみとして、藤沢駅前にある音楽好きが集まる行きつけのバーでは20年以上前から通っていて「うーやん」と呼ばれ、1回に2,000円前後、使っていたようです。
酒乱で5杯以上飲むとスイッチが入ってしまい暴言を吐くこともあるようで、店では4杯までしか飲ませなかった。
1960年~70年代の音楽を好んで聴いており
ジェームス・ブラウンやカルロス・サンタナが大好きだった。
毎日、自炊もしていてお弁当も自分で作っていたようです。キレイ好きで一度着用した洋服は絶対に洗う性格(常連だったバーの亭主談より)
病院にも入院する際には会社の人が付き添いで(桐島聡と知らず)来られたというのですから、偽名を使っても意外にもバレないものなのかもしれません。
2024年1月上旬から病状が悪化後、会社前の路上で男がうずくまっていう所を発見されて1月中旬に病院へ入院したばかりとなります。
健康保険証を提示せずに「ウチダ」と名乗っておりましたが、1月25日になってから病院関係者に「自分は桐島聡」と明かしたようです。
入院した際に健康保険証の他に運転免許証・携帯電話は持っておらず、海外への渡航歴もない事が分かっています。
現代の必需品と言われるスマホこと携帯電話については
「(携帯は)いらない。テレパシーでどうにかなる」とも言っていたようです。
健康保険証もないために「歯が全然なかった」と36年来の友人は語っています。
1年以上前から胃がんを患い「実費診療」で通院していた事が明らかになりました。
現在の上場は”末期の胃がん状態(余命数ヶ月の重篤 = 死に近い危険な状態)”という事でありました。
現在の姿はやせ細り、人の手を借りないと立てないくらいで、しゃべるのもやっとの状態だった。
逮捕時に必死になって自転車を漕いで逃げ回っていたであろう福田和子 死刑囚(没)の逮捕時と同じく近隣住民からの情報提供により「よく似た人物が入院している」と判明しました。
話せば話すほど関係者でなければ、知り得ない当時の事件状況を詳しく知っている人物のようでして犯人特定に結びついたようです。
現時点では本人が自ら「桐島聡である」と自称して名乗っているだけとなっており、これから本人なのかどうかについての身元確認とDNA型鑑定などが進められていきます。
「最期は本名で迎えたい(死ぬ時くらいは本名で名乗りたかった or 死にたかった)」と語っている事も分かりました。
警察が発表に至った経緯やら本人が末期の胃がん(余命数ヶ月の重篤状態)という事から、もう本人で間違いなさそうな気がします。
住民からの情報提供となっておりますが…?
本人、自ら病院関係者に言いふらしていたという事ですから
これは…亡くなる直前の最期の最期で自首ではないですが、
完全なる逃げ切りの「勝利宣言」と言わざるを得ない結果となりました。
その後、本人に詳しい事情を聞き出せないまま
2024年1月29日(月)朝7時33分
病院で死亡した事が分かりました。
警視庁公安部の任意聴取に対して「ずっと一人で生活していた」と説明していた事が分かりました。
一連の事件について
警視庁より「後悔しているのか?」
桐島聡容疑者は「はい」と答えたようです。
警視庁では潜伏の支援者がいた可能性があるとみて捜査を進めると共に桐島容疑者と特定された場合には容疑者死亡のまま「爆発物取締罰則違反容疑」で書類送検する方針としています。
その後の調べで、
・逃亡中は誰からの支援も受けておらず
・過去に逮捕された事もなく犯罪歴の前前科・前歴もなかった(警察のデータベースに指紋&DNA型の登録なし)
という事が判明しました。
これにより遺体を拒否されてしまった
複数の親族からDNA型の提供を受けて照合を進める事になります。
その後、DNA型の鑑定結果&関係先の捜査から桐島聡容疑者本人と断定されました(2024年2月27日)
共犯者の大道寺あや子容疑者(75歳)は国際指名手配されており、海外逃亡しているために時効は停止しています(いまだに逃げ続けています)
他の逃亡犯とは明らかにレベルの次元が異なり
1974年から現在(2023年)に至るまでに
”48年(約50年)”にも渡り逃げ回っていたというのだから驚きです。
この指名手配犯の画像を見た時に誰かに似ているなぁ~と思っていた所…?
まさかの若かりしデビュー仕立ての頃の氷川きよしさんかと思ってしまったくらいです。
つまりは、年老いた氷川きよしさんとイメージして覚えておけば完璧と逃亡中の重要指名手配犯11人(逃亡期間)でお伝えしたばかりだったのですが…?
約50年間も逃げ回っておりますので
過去の逃亡歴としては最高記録と言えます。
仮に生きていれば、現在70歳となります。
もはや白黒のイメージ画像とは全然違った姿になっており
この画像から探し出す事は非常に困難を極めると思っておりました。
ここまで来ると…?
さすがに、もう亡くなっている可能性が高いのではないかと油断した矢先の出来事でありました。
連続企業爆破事件とは?
合計11件の企業爆破事件として最大被害者が出た
1974年8月30日 東京・丸の内の三菱重工業ビル玄関前に置かれた爆弾が爆発した8人が死亡・380人が重軽傷を負った事件が有名となります。
東アジア反日武装戦線が1974年~1975年にかけて
大手商社&ゼネコンを標的に爆破事件を11件も起こしています。
1975年5月には東アジア半日武装戦線メンバーとして「狼」「大地の牙(きば)」「さそり」の3つのグループメンバー9人が逮捕されています。
9名中2名のリーダー格は1987年に死刑確定後、2017年に東京拘置所で癌の病死。
残り1人の死刑囚は現在も収監中(逮捕された9名中2名が死刑/1名は自殺/6人は有罪)
桐島聡容疑者は「さそりグループ」の一員であり、事件当時は明治学院大学の学生だった頃の犯行となっています。
また、桐島容疑者は最大の被害者が出た三菱重工事件(死者8人+重軽傷380人)の実行犯でもなければ、関与もしておらず
翌年の1975年4月18日
東京・銀座にある韓国産業経済研究所入口ドアに手製の時限爆弾で爆破した疑いとなっています。
人がいなさそうな翌日の19日午前1時頃に爆発させたとされています。
これによりビル入り口付近の一部が破損しただけで被害者はいませんでした。
桐島聡容疑者が関連した事件は死者数は「0人」となっています。
その他、黒川らの刑事事件では
桐島聡容疑者が共犯と言われており
・1974年12月23日: 鹿児島建設爆破事件(死傷者なし)
・1975年2月28日: 間組本社ビルの6F&9Fと大宮工場同時爆破事件(9F爆破で1人が4ヶ月の骨折&熱傷)【確保後に本人は関与を認めています(指名手配されていない事件)】
・1975年4月18日: 韓国産業経済研究所爆破事件(死傷者なし)【確保後に本人は関与を否定しています】
・1975年4月27日: 間組江戸川作業所爆破事件(1人が1年3ヶ月の頭部外傷)
・1975年5月: 間組京成江戸川橋工事現場爆破事件(死傷者なし)
となっております。
その後、1975年5月
警視庁より「中央区内連続企業爆破事件」
(韓国産業経済研究所爆破事件)
爆発物取締罰則違反として全国に指名手配されます。
<追記>
神奈川県藤沢市の工務店に40年以上潜伏していた
当時の桐島聡容疑者とみられる男の写真を入手していたことが分かりました。

【独自】桐島容疑者とみられる男の潜伏中の写真入手 写真撮影時は58歳か|TBS NEWS DIGより
2012年9月に撮影された
桐島聡容疑者とみられる男
58歳当時の風貌となります。

まさかの
氷川きよしさんから
タルるートくん作者の
江川達也さん系に進化してしまいました。
解像度が粗い写真による遠目からになりますが、
メガネとヒゲの伸ばし方から風貌がそっくりではないかと思いました。
少しばかり、ふっくらとしているようでした。


桐島聡容疑者の出身は広島のようですが…?
偽名の内田洋(ウチダヒロシ)になりきりまして
周囲には「岡山出身」と話していたようです。
事件直後は岡山に潜伏していたようでしたので、「嘘」ではなさそうです。
実家は魚屋で、兄弟は5人~6人の末っ子らしいです。
1975年5月 手製の爆破事件を起こした直後、
5月31日に岡山から広島にいる実家の父親に電話をして
今、岡山に女と3人でいる。
金を準備してくれ。
国外へ逃亡することも考えている。
と伝えたのを最後に音信不通になったようです。
事件を起こす前までは東京都内の飲食でバイトをしており、失踪する3日前の5月17日には東京・渋谷区内の銀行で現金を引き出している事は確認出来ているようです。
ある日の出来事として
音楽好きの桐島聡さんが酔っ払って帰ってきた時
ラジオを大音量でかけてギターをしながら歌を歌っていたようでして
騒音トラブルを起こしてしまい近所の人から警察に通報されてしまい
一度は神奈川県警が自宅を訪ねて来た時には
見事なまでに”取り逃げしてしまうおまけ付き”の前代未聞な事件となりました。
さらに1975年5月の指名手配直後から
神奈川県藤沢市に潜伏していた事が分かりました。
当初は藤沢市の工場で働いて雇った男性が「指名手配犯の写真に似てるなぁ~」と聞いた所…?
桐島聡容疑者は「そんな冗談じゃないです。知らないですよ」「自分じゃないですよ」と怯えたり隠そうという様子もなく、お茶を飲んで次の日も来ていたようです。
2日~3日後の間もなくして姿を消します。
2年後、工場を経営していた男性は再び同じ藤沢市内で偶然ばったりと桐島聡と再開し、桐島聡容疑者は「藤沢市内の工務店で働いている」と話していたようです。

仕事は一生懸命やっていたようですが、”のろま”だったようです。
それで注意して呼んだ時に冗談で似ているとジョークを交えて話されていたようです。
工場には15人ほど色々な人間が集まって住所不定や何らかの事情がある人間が集まっているに桐島容疑者がいたようです。
さらに

2012年6月
ライブ演奏を
最前列で楽しそうに
音楽のリズムにのっている

桐島聡容疑者とみられる男の
上半身の映像が公開されました。

演奏者の名前を呼びつつ
自分は「うっちー」「うーやん」の愛称で呼ばれ
藤沢市内のバーに常連客として通って

もう指名手配犯という事を完全に忘れてしまっており
普通の日常生活にとけこんで馴染んでしまっています。
へたしたら普通の人間よりも人生を楽しんでいると言えます。
男が25年通っていたバーの店長より
逃げたり、隠れたりしている様子は全くなかった。
仕事は真面目だし、仕事終わって自炊して
その後に飲みに来ていた。
音楽が好きでバンドを組んでいたぐらい人生を楽しんでいた。
銭湯でよく顔を合わせていた
常連客より

結構、気さくなんだよ。

人の話の輪にも入ってくるしね。
自分でも、しゃべってくる。
(指名手配犯について)気づかない。まったく気づかない。こういう顔じゃないもの
こうなりますと…?
変にコソコソして、隠れながら潜伏生活を送るのではなく
目立つほどまでにはいかなくとも、堂々と顔を出しつつも
普通に生活していた方が意外と捕まりにくい事が分かりました。
これが逃亡犯になった時の最大の秘訣と言えるのかもしれません。

