群馬一家3人殺人事件の真相(犯人は逃亡?自殺?)

ストーカー男(変質者)15

群馬一家3人殺人事件の真相

ストーカー殺人事件(小暮洋史は逃亡?自殺?)

1998年1月14日(水)の夜

群馬県・群馬町三ツ寺の住宅で

ストーカー行為の末に起きてしまった

群馬一家3人殺人事件になります。

厳密には三ツ寺ではなく「中泉町」が正しいです(現在、群馬町は合併して高崎市に変わっています)

1998年から現在に至るまで

犯人の行方は今もつかめておらず

「未解決事件」となっています。

1998年1月14日(水)22時40分頃

群馬県・高崎市内で電気工事業を営む

一家3人が殺害された殺人事件になります。
(ストーカー被害女性の両親と祖母を殺害)

殺害後、愛車と共に逃げた男は

今も重要指名手配犯となっており

被害女性にストーカー行為を繰り返していた

・名前: 小暮 洋史
     (こぐれ ひろし)

・年齢: 現在55歳(犯行当時28歳)

・生年月日: 昭和44年 = 1969年7月31日(群馬県・前橋市生まれ)

・職業: 元トラック運転手(雑貨類をドラッグストアに搬入)

・身長: 170cm

・体格: 痩せ型・面長
・罪名: 殺人罪(ストーカー行為で一家3人を殺害)

・逃亡期間: 27年

群馬県・高崎北警察署では

小暮洋史の情報を求めています。


情報提供先

・フリーダイヤル: 0120-547-590

・高崎警察署: 027-371-0110

ご協力をよろしくお願いします。

全国重要指名手配犯として

懸賞金300万円(上限額)ついています。

警察庁では事件解決に結びつく

有力な情報を提供いただいた方には

300万円を上限として捜査特別報奨金を設けています。

事件から27年経過しても1年間で250件ほどの情報が寄せられています(2024年度)


小暮洋史の特徴(くせ)

爪を噛んだり

手の匂いを嗅ぐ癖がある(潔癖症)

逃走車両について

・愛車: 日産シルビア(1996年式)

・カラー: ブラック(黒)

・ナンバー:群馬 33 も 8670

今だに車ごと発見されていません。

シルビアの前はシビック新車を乗り回していた。


目撃情報について

事件が発生した直後、

1998年1月14日深夜~15日未明にかけて

黒いシルビアは栃木県・茨城県の国道50号線で目撃されています。

深夜に栃木県佐野市を通過して

翌15日の午前1時過ぎに茨城県・水戸市方面で目撃情報あり

1月21日深夜: 群馬県大田市内・熊谷市周辺を走行

群馬県太田市・龍舞の国道122号線を桐生市方面へ走行。

その後、大田市内から国道407号線を刀水橋から

埼玉県熊谷市方面へ向かった姿を目撃情報あり

2月4日:群馬県笠懸町(かさかけまち)

国道50号線沿いの駐車場で目撃される。

車を見かけた主婦がナンバーを覚えており

指名手配車両と同じだったため2月8日に警察へ通報。

この当時、人が乗っていた様子を確認されています。

・事件後に小暮洋史の金融機関で「現金を引き出した形跡は一切なし」

・事件後に給油した形跡なし(事件前の1998年1月5日頃に自宅近所のガソリンスタンドに行った後は給油した事も確認されておらず)

・警察は群馬県を中心に栃木・茨木・埼玉等の20箇所異常を湖沼を捜索したが見つからず(その他、中古自動車販売施設・営林局・ハローワークにも協力依頼しています)

未解決事件 & 行方不明事件においての

目撃情報は、あまりあてにならない事が多いです。


小暮洋史の経歴について

1988年に工業高校を卒業後、

自動車部品製造会社に就職するも半年で退職。
1990年5月から数年間は食品等の販売会社で職を転々とします。タバコを吸う写真は、食品会社の社員旅行で撮影されたものになります。

1993年に従業員50人ほどの運送会社に就職。仕事内容は雑貨を卸した店からドラッグストアに配送する仕事で、勤務態度はいたって真面目(無口で指示された作業を淡々とこなす)

運送会社はストーカー殺人事件を起こした

直前まで勤務していた職場になっています。


人物像について

高校卒業から2年後、前橋市内の繁華街で

スナックを経営していた母親(地味め)と2人暮らしを始める。

父親とは高校時代に会ったのが最後となります。
家賃7万円のマンションは3階建で3階に住む(建物は2棟あり)

部屋の間取りは6畳が2部屋に4畳半と6畳キッチン

マンションの家賃を滞納する事が多く4~5ヶ月滞納して差し押さえの申し立てをされる歴あり(現在は違うマンションが建てられています)
仕事仲間とは飲みに行くこともなく、仕事以外での会話はなし。

事務所の休憩所にも顔を出さずに

同僚とすれ違っても挨拶をせず顔をそむける。

性格について

・おとなしくて、あまり目立たない存在

・写真を極端に嫌う。最初の指名手配は過去の写真が見つからなかったために似顔絵で対応しています。

・高校の同級生談「そばで誰かが話していても笑っているだけで、自分から冗談を言ったりはしない。親友と呼べる人間はおらず、友人は少なめだった」

・常連並に通っていた店はなく、警察を派遣しても成果はなかった。

小暮洋史の

(推定)顔変貌として

現在の予想図姿になっています。

推定年齢50歳~60歳の

似顔絵イラストになります。

群馬一家3人殺人事件では

交際中に起きた事件ではなく

ストーカー被害に遭っていた女性(長女)が

小暮洋史から交際を迫られている最中に悲惨な事件が発生しています。

被害女性が留守中にストーカー男の

小暮洋史が被害女性宅に勝手に侵入して

家族3人(母/父祖/母)が殺害されてしまった悲惨な未解決事件になります。


 簡単な事件の時系列として

・1996年2月: ストーカー行為が始まります(事件2年前からストーキング開始)

・1998年1月4日: 事件発生の10日前に新年会に小暮洋史が現れず、翌1月5日付で、運送会社の退所届のメモが会社の掲示板に貼られる。
・1998年1月14日: 夜に事件が起こる(19時~20時45分の間)

・22時40分頃: 110番通報(被害女性が帰宅から1時間40分後)
・1月15日: 警察は小暮洋史に逮捕状。捜査員8人が前橋市にある小暮のマンション一室に入り家宅捜索(段ボール2個とアタッシュケース2箱を押収)

・1月20日: 公開捜査で小暮洋史を全国指名手配

小暮洋史とは仕事場で週2回会う程度の顔見知りで一度だけしつこい誘いに根負けして出掛けた被害女性は「小暮」という名字しか知らず

家の中に入ってきたのは事件が起きた日が初めての出来事となっています。

日々のつきまといストーカー行為で自宅と電話番号を特定しています。


侵入時間~殺害された時間帯について

・殺害された正確な時間帯は「不明」とされています。

・殺害時刻は19時~20時45分の間ではないかと言われています。

・被害女性宅は普段からカギがかかっておらず、施錠していない事が多かった。
・事件が起きた日は、祖母は自宅に1人でいました。

・父親・母親夫婦は共働きで20時~20時45分頃に帰宅後に刺殺(浴槽まで引きずられる)

・被害女性は21時頃に帰宅して鉢合わせ(玄関で鉢合わせ)

 近所の人の証言より

・ストーカー男が、一方的に怒ってブチギレたりして、別の人を追い出すような声がした。

・20時30分過ぎ頃に「アーーーッ!」と男性の鈍く低い声が響いた。
・その後に車のドアを閉める音が1回した。

・20時45分頃に男性の声で、暴れるような音が聞こえる。

殺害の被害状況

祖母(84歳)は階段下の

物入れから遺体が発見されています。

祖母は紐のような物で、首を絞められた事による窒息死。

首痕はロープのような物ではなく、首に巻いていた薄いスカーフ状の布等と言われています。

電気工事経営の父親(48歳)

パート勤務の母親(48歳)は自宅1Fの浴室で遺体が発見されます。

浴室の浴槽の水の中に服を着た状態のまま母親・父親の順番で浸かっていた。

父親は胸・背中・頭・太ももなど十数カ所の傷あり

死因は胸部の刺し傷による出血死。

母親は胸・背中・頭にも傷あり

死因は背中と胸の刺し傷による出血死。

祖母は最初に殺害された可能性が高く

その次に父親・母親が帰宅後に刺殺されています。


殺害に使われた凶器について

・被害者宅の台所にあった包丁を凶器に使用(指紋隠しの手袋なし)

・殺害に使用された包丁は4本中1本に小暮洋史の血痕が残されていました。

・祖母のみはスカーフのような物で首を絞める(小暮の持参か被害者宅の物かは不明)
・被害者宅には小暮洋史の手の痕跡あり(指紋で隠した様子も一切なし)

・被害者宅の室内は取り乱した様子なし
・父・母・祖母3人は夕食を食べた形跡なし

・長女(20歳)は外出中で留守(最後に帰宅)

目撃情報について

事件直後の1月14日深夜~15日未明にかけて

シルビア(車)は栃木県・茨城県の国道50号線で目撃されています。

事件後の深夜に栃木県・佐野市を通過して

翌15日午前1時すぎに茨城県・水戸市で目撃情報あり

1月21日深夜: 群馬県大田市内・熊谷市周辺を走行の目撃情報あり

太田市龍舞の国道122号線を桐生市方面へ走行

その後、大田市内から国道407号線を刀水橋から埼玉県熊谷市方面へ向かった姿を目撃あり。

2月4日に群馬県笠懸町の
       (かさかけまち)

国道50号線沿いの駐車場で目撃情報あり

主婦が駐車場で目撃した情報あり。

指名手配車両のナンバーを覚えており、2月8日に通報。

人が乗っていた姿ありとされています。

・事件後から銀行で現金を引き出した形跡はなし

・事件後に車の給油歴もなし(事件前の1月5日を最後に自宅近所のガソリンスタンドに行った後に給油した事も確認されていません)

・警察は群馬県を中心に栃木・茨木・埼玉県等の20箇所以上の湖沼を捜索しましたが、行方が見つからず(その他、中古自動車販売施設・営林局・ハローワークにも協力依頼しています)

当日の天候は曇り~夕方に雨後に雪がチラついており(みぞれ伴う)

平均気温は3.2度(最低-0.9度/最高8.1度)

事件6日前(1月8日)の大雪の影響により積雪11cm

小暮洋史が車で逃亡する直前の21時時点で積雪10cmあります。


小暮洋史の経歴について

1988年に工業高校を卒業後、

自動車部品製造会社に就職するも半年で退職。
1990年5月から数年間は食品等の販売会社で職を転々とします(指名手配写真にあるタバコを吸う姿は、食品会社の社員旅行で撮影されたものになります)

1993年から従業員は50人ほどの運送会社に転職。仕事内容は雑貨を卸した店からドラッグストアに配送する仕事。勤務態度はいたって真面目で、遅刻等の問題行動は報告されていない(無口で淡々と指示された作業をこなす)

運送会社はストーカー殺人事件を起こした

直前まで勤務していた会社になります。


人物像について

高校卒業から2年後、前橋市内の繁華街で

スナックを経営していた母親(地味め)と2人暮らしを始める。

父親とは疎遠で、高校時代に会ったのが最後となっています。
マンションは3階建の3階に母と住み(建物は2棟あり)

家賃は7万円で、間取りは6畳 x 2部屋+4畳半の部屋と6畳キッチンあり(3DK)

マンションの家賃を滞納する事が多く、4~5ヶ月滞納して差し押さえ申し立てされていた過去がある。
・仕事仲間とは親しい関係にならず

・飲みに行くこともなければ、仕事で必要な時以外の会話は一切なし

・事務所の休憩所には顔を出さず、同僚とすれ違っても挨拶せず顔をそむけていた(本当かどうかは分かりません)

性格について

・おとなしく目立たない存在

・写真を極端に嫌う(最初の指名手配は小暮の写真がないために似顔絵で対応)
・高校の同級生談「そばで誰かが話していても笑っているだけで、自分から冗談を言ったりはしない。親友と呼べる人間はおらず、友人は少なめだった」

・社会人になってから常連として通っている店はなく、警察を派遣しても成果が見られなかった。

ストーカー被害について
(出会い~事件までの時系列)

1996年2月: 長女と小暮洋史が仕事を通じて「顔見知り」になります。

長女が働くドラッグストアに
(群馬県・高崎市)

運送業で働く小暮洋史が週2回ほど雑貨類のトラック搬入で出入りするようになります。

長女は職場の先輩から誘われてボウリングに行った時に偶然、小暮もそこにいて違和感を覚える。

小暮は仕事(お店との様子)とは異なり、おしゃべり野郎だったと言われています。

長女が車の運転が趣味と話すと、小暮も話を合わせるように同じ趣味と言った。

しかし、車好きという割には、いたって普通の車にのっていた事に違和感を覚えた長女。

後日、長女が働くドラッグストアにやってきた小暮は新しくスポーツカーを購入したと嬉しそうに語った。

1996年2月下旬~8月: 女性を食事 & 遊びに誘うが断られる。

スポーツカーを購入したことをきっかけに休日に会おうと、しつように誘うようになります。

長女が断り続けると

さらに交際を迫ったり

その後も半年間にも渡りまして

長女の車の後ろを尾行してつけたり

つきまとい行為が日常的に繰り返されます。

長女宅には「無言電話」を頻繁にかけていた。

1997年12月: 再び車でのストーカー行為の被害に遭う(4ヶ月の空白期間あり?)

帰宅時に家にまでつきまとわれ行為をされたりして自宅住所を特定され、電話番号も調べられた。

長女が務めるドラッグストアに何食わぬ顔をして来ては、商品陳列の隙間から覗き込んだり、自宅・職場に何度も無言電話あり。

自宅には毎晩のように電話をかけてくるまでの酷さになっています。

長女は職場の関係者ということもあり、はっきりと拒絶する事が出来なかった。

この時、あまりのしつこさに根負けしてしまった長女は一度だけ小暮と会う約束をして、会ったがまったく楽しめなかった。

この頃、長女は両親にも紹介するくらい大好きだった男性と交際をスタートさせています。

この当時、両親に心配をかけたくなかったため、ストーカー被害の相談はせず(後に状況が悪化してから相談しています)

警察にはストーカー被害を提出しておらず相談していませんでした。

その理由として

1996年に「ストーカー」という言葉が世に出始めたばかりで、世間では”ストーカー犯罪”という事は多くの方に認知されていませんでした。

当然ながらストーカーを取り締まるためのストーカー規制法も、まだ存在していません。

ストーカー規制法は、桶川(おけがわ)事件を受けた翌年2000年に、つきまとい行為を禁じる「ストーカー規制法」が成立しています。

ストーカーという言葉は1996年から日本で使われるようになりました。日本に入ってきたのが1995年10月1日に祥伝社から出版された「ストーカー ゆがんだ愛のかたち(著:リンデン・クロス/和訳:秋山史)」になります。

正確には1995年の終わりに読売新聞の読者欄の声で、初めてストーカーという言葉が出てきたと言われています。

いい加減、しびれをきらした長女はストーカー対策として

お店の店長に相談して小暮とは接触しないように対策しています。

店長は、気を利かせて長女に「小暮とは会わない作戦」を実行しています。

小暮が配送でやってきた時に長女を一時的にバックヤードに隠れさせて顔合わせしないようする対策。

店長は直接、小暮にも口頭注意した甲斐もあり、次第に長女に声をかけることが出来なくなった。

この間、小暮のストーカー行為が収まる「4ヶ月間の空白期間」があったとされています。

それでもストーカー行為は酷くなる一方で、徐々にエスカレートしていきます。

職場から帰宅時に車のワイパーに「2人で話がしたい」と書かれた置き手紙があった。

長女は怖くなり、交際男性に車で自宅まで送ってもらう日も少なくなかった。

さらに交際男性の勧めもあって、いつでも連絡が取れるように携帯電話を購入した対策をしています。

1998年1月4日: 小暮が職場を辞める(事件10日前)

新しい年を迎えた翌年、小暮が配送にやってくる日でも姿を見せず

1月4日をもって会社の掲示板に一言「辞めます」という置き手紙を残す。

長女は、これでようやくストーカー被害から逃れられると感じていた10日後…、最悪な結末を迎える事件が発生してしまいます。

事件当日は、母親(パート勤め)の誕生日で、最初に出勤。

その後、父親(電気工事業)が仕事に出ています。

長女も仕事 or 母親の誕生日を祝うために交際相手(婚約者)と連絡を取り出掛けており、この日は不在となります。

家に残されていたのは祖母だけになります。

その日の夜に小暮洋史が突然やってきて悲惨な事件となります。


事件当日の出来事(緊迫したやり取り)

一家3人の母・父・祖母は

長女が外出中の間に殺害され

長女が帰宅後、

ストーカー男の小暮洋史と

自宅で鉢合わせしてしまいます。

群馬一家3人殺人事件の真相 後編(犯人は逃亡?自殺?)に続きます。

未解決事件&指名手配犯が捕まらない理由(失踪含む)

ストーカーする人物像の特徴(殺人に発展)