岩手17歳女性殺害事件 簡単解説(後編)
● 岩手17歳女性殺害事件 簡単解説(後編)
同姓同名の身代わりミステリー殺人事件(逃亡説/自殺説/暗殺説)
2008年7月1日(火)
岩手県・川井村にある山中の川で
(宮古市にある松草沢)
17歳女性の遺体が発見された未解決事件になります。
岩手17歳女性殺害事件の時系列を含めて簡単に解説してまとめております。
岩手17歳女性殺害事件 簡単解説(逃亡説/自殺説/他殺説)の続きになります。
◆ 事件発生前夜
6月28日(土)
佐藤梢Aさんの逃亡~Z氏の被害届取り下げ。
・6月28日(土) 昼頃: 小原がZ氏の被害届を取り下げると言い出す(Z氏の言い分は被害届を知らなかった。佐藤梢Aさんの証言では「小原克幸は自分でZ氏に伝えている」となっています)
一応は取り下げ理由については、小原父いわく「Z氏からの脅しが弱まったから(と小原本人から聞かされていた)」とされています。
小原勝幸と佐藤梢Aさんは盛岡競馬場に駐車していた(車のガソリンは少なく、お金も1000円)この時、小原勝幸は車で寝ており、佐藤梢Aさんは近くのコンビニに買い物へ行きます。
盛岡競馬場から佐藤梢Aさんが小原の元から逃げて実家に帰る。
以前から小原の元から逃げるチャンスを待っていたと証言しており、佐藤梢Aさんは電車で逃げます。父親にも連絡して駅まで迎えにきてもらっています。
・13時~14時: 梢Aさんの元に小原から何度も着信「Z氏の被害届を取り下げたいので、親御さんが一緒でもいいから戻ってきてくれないか?」と何度もしつこく電話をかけ続けます。
・21時: 佐藤梢Aさんが実家に帰宅。この間に小原は佐藤梢Aさんに何度も電話で話して説得するも嫌だと言ってきかないので、実家に到着したら自宅の固定電話からワンギリしてという条件(指示)をつけて約束通りにワンギリをする。
→ 小原勝幸は28日の午後は時間があります。
この時、小原は何をしていたかは不明となっています。
◆ 佐藤梢Bさん失踪
6月28日(土)
小原勝幸と佐藤梢Bさんの合流
・21時30分~22時: 小原勝幸が佐藤梢Bさんを呼び出します。恋愛相談という理由から嫌々ながら出向く(21時20分に佐藤梢Bさんが外出)※ 途中でタクシーを利用しています。
最初の出会い以外に事件直前まで何度か会っていた仲かどうだったかの真相は不明となっています。
連絡先を知っていたという事からも、何度か会っていた仲だったのかもしれません。
・22時10分~40分: (殺害された)佐藤梢B →(元交際相手)佐藤梢Aさんに電話+メールを6回交換。6回中2回のメール内容のみが公開されています。
佐藤梢Bさんから佐藤梢Aさんに対して小原勝幸の話題が中心に振ってきて佐藤梢Aさんが言う印象的には佐藤梢Bさんの近くに小原がすぐそばにいる的な内容に感じた(小原が聞きたい内容を代弁して聞いてきているような感覚)
佐藤梢Aさんは当時の事を「あの時、佐藤梢Bさんの横にはカッチがいたんじゃないかな。まるで代わりに聞いているみたいな質問ばっかりだったから」
メール内容:梢B「小原克幸とは、どうするの?」
梢A「今日、別れた」
梢B「これからどうするつもり?」
梢A「分かんない。だけど、もうヤダ」
といった感じで小原勝幸の様子を伺っているようなやり取りとなりす。
最初は佐藤梢BさんからAさんに携帯から電話をして、その後に実家に戻った1時間後に自宅宛に電話をかけています。
偶然にも小原から逃げてきたタイミングにて佐藤梢Bさんが佐藤梢Aさん宅に電話を掛けてきた事に対して父親は一瞬、不思議に思ったと語っています。
佐藤梢Aさんは1年ちょっと~2年近く実家を離れていたにも関わらず当時、娘から内容を聞く限りでは大した事ではなかったとも語っています。
・22時30分: 宮城県登米(とめ)のコンビニ = セブンイレブン(迫佐沼小金丁店)で小原勝幸と佐藤梢Bさんが合流。
22時43分~23時の約17分間、コンビニの防犯カメラに雑誌を立ち読みしている佐藤梢Bさんのみが写る。小原は防犯カメラに写っておらず、梢Bさんの父親が防犯カメラを確認。
この姿が佐藤尾末Bさんの最後になります。
コンビニ or この近辺で合流したと言われています。
→ 残金1000円+ガソリン残量少では
佐藤梢Bさんを向かいに行くのは不可能となります。
この間までに、お金を協力者か誰かしらに借りて接触している可能性大。
競馬場近くに住んでいた小原の先輩でもある男Bを頼る。
もしくは、クレジットカードを所持していた可能性あり(キャッシング機能もあり)
まさかの1,000円でパチスロ&パチンコで儲ける(可能性は非常に低いです)
銀行口座にお金が残っていた可能性もありえます。
佐藤梢Aさんは1年以上、実家には戻っていなかったようです。
佐藤梢Aさんの携帯アドレス帳は小原に支配されて全て消されている状態だったので、最初は知らない番号のために梢Bさんの電話は出ない事から実家宛にかけています(22時10分 → 22時30分)
その後、電話番号&メールアドレスを交換して
22時40分まで携帯電話にて合計6回のメールのやり取りをしています。
翌朝未明の29日午前0時30分に佐藤梢Bさんのメールが途絶えます。
◆ 小原勝幸が殺害可能な時間帯
6月29日(日)
・6月29日(日) 深夜0時30分: 佐藤梢Aさんと佐藤梢Bさんのメールのやり取りが最後になります。
佐藤梢Bさんは当時付き合っていた彼氏の家から出掛けており「友達の彼氏に恋の相談をされてから相談に乗ってくる」「私、殺されるかもしれない…。
その時は助けてね(電話するからね)」と言って出かけたと彼氏の証言あり。
冗談っぽく笑っていった出ていったとも言われております。
小原が弱音を吐くようにメンヘラではないですが、普段から幸せになれないような事を口癖として言っていた事も判明しています。
・深夜1時: 小原勝幸が岩手県盛岡に到着。
・深夜2時14分~2時17分: 岩手県盛岡市内のガソリンスタンドに到着。防犯カメラに3分間だけ小原勝幸の姿が写り、右手に白い布がありますので、ここでケガをしている状態(佐藤梢Bさんは写っておらず)
→ 深夜2時14分時点で防犯カメラより
右手にケガを負っている事が確認出来ます。
防犯カメラには佐藤梢Bさんの姿が写っていないため、既に亡くなっている可能性が高いです。
小原勝幸が犯人だとするならば、深夜1時~2時の間に殺害が可能と言われています。
・朝7時30分: 小原勝幸が右手をケガした写真を佐藤梢Aさんに送りつける(元交際相手)「Z氏の被害届を取り下げに来てくれ」と頼む。
しかし、小原に嫌気をさしており、事前に警部補(千葉さん)=刑事に「あなたは被害届け取り下げに関係ない(必要ない)」と言われていたので、要求には応じず。
・9時30分: 小原克幸は田野畑村にある弟宅(次男)に向かいます。
次男夫婦は車に残っている佐藤梢Aさんの荷物を梱包します(車内に血痕・血痕跡なし)
ここで、小原は「もうダメだ」「仕事がない」と悲観的な言葉を口にする。
その一方で、次男夫婦より「いつもと変わらない感じだった」という証言もあります。
・19時20分: 右手をケガしているため、弟(次男夫婦)と一緒に病院に行って治療。
ケガは小指+薬指から甲までフォークでしか食べれない状態。
岩手県にある済生会・岩泉病院(さいせいかいいわいずみ)の八重樫医師に右手ケガの原因は「酒に酔ってコンクリート壁を殴った(壁とケンカした)」と先生に話します。
この日(2008年6月30日)は、日曜日で夜7時20分のため、休日当番の内科の先生しかおらず、「整形外科の常勤がいなく治療ができないので、専門医がいる病院に行って下さい」となっています。
→ 朝9時30分に弟宅へ向かう約2時間前に松草沢で佐藤梢さんの遺体を遺棄して、一段落というタイミングもあり。
他に競馬場 → 田野畑村というルートも2時間強という事で、ありえるとも言われています。
その後、佐藤梢Aさんに写メールを送る。
佐藤梢Aさんが逃げた際には小原は右手はケガをしていなかった事が確認されています。
◆ 恩師の山田宅~被害届の取り下げ返答
6月30日(月)
・6月30日(月)午前7時10分: 次男夫婦の所で寝泊まり後、翌朝7時10分に高校時代の恩師である山田宅へ7月2日まで向かいます(田野畑村在住)
・午前11時30分~12時: 恩師・山田宅に到着。
この時、恩師・山田さんも小原の右手のケガについても聞いており、小原「昨夜、弟の所で嫌なところで嫌な事があって家の壁を叩いてケガをしてしまった」と話しています。
・12時19分: 弟宛にメール。12時19分と21時25分にもあり。
その間にRe:が沢山ついている事から何度もやり取りあり。
メール内容その1:「久慈(くじ)の警察に電話してZの件取り下げようとしたらダメだった。県警が事件扱い処理したからって。明日か明後日呼び出されそう」
メール内容その2:「ついでに警察に保護施設のこと聞いた。前に新潟で施設入るかってなってたけど断ったから。施設行って仕事紹介してもらった方がいいかな。金も部屋もないし。これから◯◯社長に電話してみるけど日払いしないと厳しいから。社長のところ行くには生活費とか借りなきゃ」
この時、山田さん宅から17時30分頃まで約5時間にわたり、電話&メールをしています(刑事と談笑もあり)
電話で岩手県警・久慈署の刑事にも電話をしており、被害届を断られています。
刑事から「もう2日~3日で逮捕するから待って下さい」と断られる。
弟宅へ行った所で父親が来てZ氏の被害届を取り下げたいと相談。
・17時30分~18時50分: 恩師・山田さん宅を後にしてから再び次男夫婦の所に戻ります。
・20時: 小原父が次男夫婦の自宅を訪れる。
・20時30分: 小原容疑者の父が電話で被害届の取り下げを警察署にお願いするが断れる。後に刑事から、そのような事実は一切なかったと言われて父親と意見が対立。
→ かなりお金に困っている状態で、この時点で警察に仕事紹介してもらおうとしていた。
メールには絵文字を多用しており、前向きなメール内容からも殺害後に書いて送れるかといった疑問点があります。よほどのサイコパスで事件を偽装しない限りは難しそうです。
◆ 佐藤梢Bさんの遺体発見後
7月1日(火)
佐藤梢Bさんの遺体発見 = 事件発覚から
小原勝幸が動揺~愛車で自損事故。
・7月1日(火)午前9時~17時: 再び小原は恩師・山田さん宅を訪れる。特に変った様子もなくテレビを見ながら岩手県警・久慈署の刑事とも電話&メールをしています。
この時、何度も着信音が鳴っていたようです(誰からは不明)
・7月1日(火)16時30分: 佐藤梢Bさんの遺体が発見される。
遺体発見後の17時に宮城県警で捜索願いが出されています(6月28日夜から行方不明)
川の中でうぶつせ状態で頭が割れた状態。高さ3~4m or 4.5m or 4~5m+水深10~20cm(工事の作業員さんが見つける。グレートサスケさんの友人である)1時間に車が10台前後通る場所。
新聞報道では手で首を絞めた圧迫死とされています。
(ヒモのような物を使った形跡なし)
遺体はうつ伏せに横たわった状態で、首を圧迫+顔~頭部の外傷あり(頭部は頭がい骨骨折あり)
警察の逮捕状には顔面を殴った上で、のど付近の頸部を強く圧迫して殺害と記載あり。
頭部の外傷は橋から突き落とされた際に出来たケガと言われています。
性的暴行は確認されていないとされていますが、遺体発見時は下半身のみ「下着姿」で、その後もスカート or ズボンは見つかっていません(上半身はきちんと服を着用)
・16時30分 or 17時: 小原勝幸は恩師・山田宅から外出して買い物に出掛ける。
・19時25分: 弟に自殺をほのめかすメールを送ります(サヨウナラ。迷惑な事ばかりでごめんね)
・20時: 山田宅へ戻って来たと時に動揺。
車に座りながら態度を一変させて
「頑張っても頑張っても、誰も認めてくれない」
「もう田野畑村にはいられない」
「警察が来たんじゃないか」
と抱きついて泣く。
・21時30分~40分: (北方面に向かい)飲酒運転をして愛車セルシオで自損事故を起こす(ブレーキ痕なし/所沢ナンバー)田所さんが釣りの帰りに偶然通りかかって小原を実家へ送り届ける。
この時、小原が「財布を車に忘れた」と田所さんに伝えてセルシオ車内を探しまくっていますので、田所さんの指紋だけがベタベタに残りました(結果的に財布はなかった)
さらに田所のさんの車にも乗っているので、小原の血痕も残った状態で事情聴取を2回受けていますが、車は調べられず、指紋の事も言われなかったようです。
これらの経緯があり黒木さんに協力(インタビュー動画あり)救急車を呼ばなかった理由として、酔っ払っていたので酔いが覚めてから or そこまで大したケガではなかったと言われています。
唯一、田所さんには「事故じゃない。女を殴って右手をケガした。もうおしまいだ、死ぬしかない」と伝えています。新聞の見出しも「女を殴った。死ぬしかない(新聞で編集して2つの文章をくっつけていると言われています)」となっています。
「仙台で裏デリヘルをやっている」「今は仙台に住んでいるが、仕事がうまくいってなくて、いろんな組関係者と揉めている」という発言もあったようです(2008年7月12日の産経新聞)
岩手日報にも男性 = 田所さんに対して「(殺害した佐藤梢Bさん)女を殴った。仙台で仕事の揉め事があって追われている」「(岩手県)岩泉町から来た」と答えた。
→ 小原勝幸が急に動揺して悲観的になった理由については
夕方買い物に出掛けて帰宅している間に「佐藤梢Bさんが亡くなった(バレた or 殺された事を知った)」という情報を知った = 聞いたのではないかと言われています。
・6月30日(月)7時: 実家から酒の酔が覚めてから行こうと1人で出かけます。
小原勝幸と父親のやり取りで父親「8時になったら事故を届けろ」と、それに対して小原より「千葉刑事と会う約束をしているから久慈署に行かなければいけない」
・7時40分: 携帯をいじっていた姿を確認。時刻表を見ていたら、そうこうしている内に小原勝幸の姿が見えなくなった(父親は電車で行ったと思って探しに行きますが、電車に乗った形跡なし。後に親戚に送ってもらったと判明する)
小原さんは漁協付近にあるタクシー会社に寄るのですが、空きがなく仕方なく歩いていたら、偶然に親戚の人に道で会って鵜の巣断崖(うのすだんがい)の入り口付近まで車で連れて行ってもらいます。
親戚には「知人に会う予定なので、送って」と伝えています。後部座席に乗り込んで行き先を2回も変更しており、最終的に鵜の巣断崖付近を指定します(約2km手前)
小原は車から降りた直後に誰かと携帯で話をしていた事も親戚が語っています。
・8時30分: 小原勝幸が1人で鵜の巣断崖(うのすだんがい)へ。
恩師の山田さんに電話「今から鵜の巣断崖に飛び降ります。来ないで!」(親戚の人が見た通話)
弟にメール。父親に電話。
千葉警部補(刑事)に電話。
小原「今、鵜の巣で恩師・山田さんもいます。佐藤梢Bさん捜索願いは出ていないですか?なんだか俺が疑われているんすよね…」といった内容を小原本人が話していたと千葉警部補が言っていたようです。
佐藤梢Aさんにメール「俺、死ぬから」
・9時:メールを見た佐藤梢Aさんから電話が掛かってきて小原「鵜の巣にいる。30cm前に出たら落ちる(携帯の)電池なくなる」といって一方的に切られた(割と冷たい対応)
佐藤梢Aさんは電話を切られたので、心配して千葉警部補に電話をするが繋がらず(小原勝幸の事を伝えたようとしています)
・9時5分: 父親から千葉警部補に「本人から電話が入った」と切る。
・9時10分: 恩師の山田さんは急いでスクーターを走らせて鵜の巣断崖へ向かう。
・9時20分: 千葉警部補から父親に電話。恩師の山田さんが小原が千葉警部補と話している様子を確認して自殺するような雰囲気ではなく話し中だったので、缶コーヒーを2本置いて帰る。
恩師に対して、小原より「今から警察&三男が来る予定なので、誰にも言わないで」と伝えられて口止めされる(話している口調も深刻そうではなかった)
恩師・山田さんが小原勝幸を見かけた最後の目撃証言となります。
・10時30分: 小原から父親に「後はよろしく」と伝える。
・10時40分: 小原から三男に「来たら飛び降りる」と脅す(三男をかけた電話が最後の肉声となります)
次男は資格取得のために出掛けて不在(田野畑村にはいなかった)
・11時: 三男が父親に電話で伝えた事で、父親が巣断崖(うのすだんがい)へ向かう。既に小原勝幸の姿はなかった。
・11時50分: 父親から恩師の山田宅へ(口止めされていたので、詳しい内容は話さず)
・昼まで: 小原は遺留品だけ残して消息を絶つ。
・12時: 三男から千葉警部補に行方不明と伝えるが驚かず。
・17時: 宮城県警から遺体が発見されたと佐藤梢Bさんの自宅に連絡が入ります。千葉警部補から佐藤梢Aさんに連絡。
佐藤梢Aさんから「小原(カッチ)が鵜の巣断崖で死ぬような事を言っていたので見に行ってもらえますか?」
千葉警部補「分かりました」というのですが、それ以降は連絡なし。
その後、千葉警部補は鵜の巣断崖へ行っていないという事が黒木さんの情報で明らかになります。
・7月2日(水)朝5時: 宮古署から佐藤梢Aさんに電話が来ます。
宮古署「(佐藤梢さんは)娘さんはいますか?生きてますか?」
佐藤梢Aさんの父より「生きているも何も娘なら寝てますよ」
宮古署「あぁ、そうですか(あっけない返答だった)」
事件翌日、最初の岩手日報(地元の新聞)「10代~30代の女性遺体が見つかった。
身元や死因を急いでいる2日後、死亡解剖する」夕刊で徐々に事件の詳細が判明してきます。
・7月3日(木) 午前中: 佐藤梢Bさんの両親が遺体を確認(正式に身元判明)
・7月3日(木)15時30分~16時: 鵜の巣断崖の現場に小原の遺留品を発見される(掃除に来た田野畑村職員が見つける)
小原勝幸は、ほとんどの所持品を残したまま姿を消します。
・7月29日(火): 警察は小原容疑者が殺害後に遺棄したとして逮捕状「全国指名手配」
正確な遺留品については
車のカギ / 黄色いハンカチ / 財布(ハンカチの上に置かれていた) / 缶コーヒーの空き缶(恩師が届けたコーヒーを飲む)/ タバコ(7本残っていたセブンスター未開封含む) / 腕時計(裏側に梢と書かれていた) / 携帯バッテリー / AUカード(プリペイド携帯のチャージ用) / 運転免許証 / サンダル(小原が履いていた白ではなく青地で赤のストライプ柄)
携帯電話(本体)のみ現場には残されておらず、その後も見つかっていません。
後に小原の愛車セルシオからは、佐藤梢Bさんの毛髪と女性が履く赤い靴のパンプスも発見されています
佐藤梢Bさんの父より「(赤いパンプスは)娘の物ではない。
事件当時、履いて出掛けたのはキティちゃんのサンダルだった」という証言があります。
◆ 事件後
・9月1日(月): ジャーナリスト黒木昭雄さんのTBS取材で10月1日放送(市橋達也事件と岩手17歳少女殺害事件を担当)
・9月10日(水): 黒木昭雄さんが岩手17歳少女殺害事件についての独自取材を開始。
・10月6日(月): 黒木さんが岩手県警を初取材
・10月7日(火): その翌日、2人の刑事が小原の父親を尋ねる(2ヶ月ぶり)
刑事「お父さん何か変な動きをしているようだけど」
父「何の事ですか?」
刑事「マスコミなどに話してもいいけど、話せば今より生活しづらくなりますよ」
父「何の事ですか?」刑事「まぁ、いい。その内、分かるから」
その後、その日に懸賞金起案を作る(必要とする理由は重要指名手配)
・10月14日(火): 懸賞金決定(懸賞金の条件は原則として事件発生後、6ヶ月を経過している事となっていますが、事件発生後4ヶ月しか経過していなかった。特別な理由がない限りは6ヶ月以上が条件)
・10月31日(金): 報奨金100万円の「重要指名手配犯」(懸賞金の前日に条件である重要指名手配となる)
・2010年11月1日(月): 事件から2年後に懸賞金100万 → 300万円に増額された。その直後、ジャーナリストの黒木昭雄さんが自殺(車内で鍛錬自殺)
小原父親と刑事のやり取りが本当だとすれば、
刑事が言う所の「その内、分かるから」= 懸賞金からの”重要指名手配扱い(全国に凶悪犯人は絶対こいつ扱いにしてポスターが貼られまくる)”の事なのかもしれません。
◆ 死亡推定日について
・7月1日(火)16時30分: 佐藤梢Bさんの死体を発見。
・7月2日(水)午前中: 司法解剖を実施。頸部圧迫~皮膚変色~頭部は頭がい骨骨折あり(岩手医大法医学講座/後藤康史医師)
・7月3日(木): 岩手日報(警察発表)より「死後1~2日」「6月30日朝~7月1日朝」と発表。佐藤梢Bさんの父親が宮古署で遺体を確認。
・7月11日(金): その後、岩手日報より「死亡時刻がさかのぼる可能性あり」
・7月29日(火): マスコミ向け報道資料として最終的な死亡推定日は「6月28日 午後9時15分頃~7月1日 午後4時頃までの間」に変更となりました(死体発見30分前まで)
警察発表 = 新聞発表の死亡推定日時がズレています(最初の発表とその後の発表)
ジャーナリストの黒木昭雄さんが突っ込みをいれていた部分でもあります。
最初の発表 = 岩手日報通りだと小原にアリバエあり(犯人に含まれない)
その後の発表だとアリバエなし(犯人に含まれる)になります。
だから、警察側で、意図的にズラしてるのではないか?とも言われております。
もし小原が殺害しているとしたら、6月28日 深夜1時~2時になるのですが、最初に発表された死亡推定だと含まれない事になります。
死亡推定日を変更した理由としまして、警察(新聞)の言い分としましては「川の中に浸かっていたので保存状態が良かったので、遡る可能性があった」と言われています。
その一方で、意外にも死亡推定日は当てにならず、適当なのではないかと言われています。
個人的には最初と最後で変更された点&最終発表の死亡推定日に深い意味はないのではないかと思っています。
ぜひ1つの参考程度にして頂ければ幸いです。
岩手17歳女性殺害事件の犯人 前編(逃亡/自殺/他殺の真相)
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