横断歩道の段差は危険(親切心はお節介?)

横断歩道の段差は危険
親切心はおせっかい?
横断歩道で新たな発見があった
ある日の印象深かった出来事になります。
バイクでフラフラとうろついていた所…?
車椅子に乗られた方が横断歩道を一人で渡っていたのですが、大きな歩道の段差に乗り上げる際に引っかかってしまい「立ち往生しているかもしれない」という姿が確認できました。
この時、すぐに苦戦している様子に気づきまして
横断歩道先ので左路肩に寄せて停車しつつ
ひとまず右ミラー越しから
こっそりと様子を見ながらも
果たして、すぐ手助けに行っても 相手に失礼にあたらないものだろうか。 人に手助けされるよりも、まずは自分一人の力で頑張ってみたいのではないだろうか…?
と心の中で少しばかり余計な事を考えてしまいまして
この時間、わずか”数秒間の出来事だった”と記憶しております。
そうこうしている内に2台後ろにいたであろう赤い車がやってきまして
当方のすぐ後ろの路肩に停車後、女性が速攻で走り出して手助けに行ってました。
バイクに跨りながら一部始終の様子を見ていたのですが、
もし女性の力で押せなかったら、すぐに走って行こうと思ったのですが、手慣れた様子にて声がけしてから段差を難なく女性の力だけで押せて乗り越えていました。
何ともスマートな対応をしておりました。
その様子を見守りつつも姿を消したのですが、
改めて勉強になったことが1つだけありました。
車椅子の人に対して

黄色い点字ブロックがあり ほんの少しの傾斜(坂)がある段差では 車椅子の方は「一人で登れない事もある」
という事が分かりました。
車椅子のみならず
お子様連れのベビーカーでも
同様の症状が確認出来ますので、お気をつけ下さい。
なかなか段差を登れずに苦戦してしまうパターンに陥ります。
そして…
相手を気遣いすぎても
良くない事もあるんだなぁ~
と”すぐ行動して確認しに行くべきだった”という
なんとも”三流以下の対応しかできなかった”と深く反省しなければいけない結末に終わりました。
偉そうなまでに人にはこの世で大切なこと(TOP3)と言っておきながらも…見事なまでに自分は実行出来ていなかったと改めて深く反省と勉強になった次第となりました。
この失敗経験を、必ず次の教訓に活かそうと肝に銘じた日となりました。
それでも車椅子の人からすれば、こういった場所でも乗り越えなければいけない試練こと苦戦する場面が多々あるのかぁ~という新たな発見(車椅子で点字ブロック+傾斜の段差は難関場所)があったから良しとしておきます。
これには思わず、いつもながらの思いついた打開案になりますが、ガタガタ道でも楽々通れるようにマウンテンバイクやオフ車で使われている車椅子用の「ブロックタイヤ導入」が必要な時代が来ているのかもしれません。
なぜすぐに行動しなかったのか?という点について
障害を抱えている方は”健常者と同じ扱いを受けたい”と思っている方々が多くいるようでして、なるべくなら「人からの手助けをしてもらいたくない」という考えの方がいたな…という事を一瞬だけ頭をよぎってしまいました。
もう1つだけ思い出してしまった経験談になりますが、あれは小学生の頃の出来事だったか?
電車で重そうに荷物を抱えている
お年寄りに席を譲ろうとした所…?
なぜか、いきなり「逆ギレしてきた」
という何とも理不尽な経験をした日の事を思い出してしまいました。
今にして思うと”お年寄り扱いをしないで!”という事なのだと思いますが、明らかに腰が曲がっていたであろう白髪頭の80代以上の高齢者が重そうな荷物を両手に抱えていた記憶があります。
この当時も「親切すぎるのも良くない事なのかなぁ~?」と小学生ながら社会の厳しさを学べたトラウマ級の経験談となりました。
でも、当時1つだけ感じ取ってしまった事は
この世にいる全ての人間が全員そんな考えの人ではないとは思っておりますが…
こういう些細なきっかけのトラウマ経験から
人は”親切心(優しさ)”というものを 徐々に失っていく生き物なんだなぁ~
その結果、人への優しさや気遣いが出来なくなってしまい住みにくい世の中に変わってなっていくのだなぁ~と子供ながら感じた若き日の思い出話となりました。
これらの内容は2020年以降に起きた新型コロナ以降から値上げラッシュにも関らず、給与は上がらずに日本は貧しくなっていく影響により
人々の心に余裕がなくなってきた現代の日常生活でも同じ事が申し上げられそうです。
車のあおり運転(危険運転)をはじめとして
特に新型コロナ以降は酷く感じられるようになりました。
2019年以前と比べましても、明らかに些細な事で口論やらケンカトラブルを見かける頻度が多くなっており、人々の心から優しさが消え去って息苦しい世の中になっているような気がしないでもないです。
2010年代と2020年代に変化の違いがあるとするならば…?
まさに人に対する”心遣い(気遣い)の違い”とも言えそうです。

