京都伏見介護殺人事件の真相(その後)
● 京都伏見介護殺人事件の真相(裁判官も涙した温情判決)
息子さんのその後
京都伏見介護殺人事件の真相(裁判官も涙した温情判決)で解説した続きになります。
まっとうに働いていた50代の息子さんが
認知症を患った母親(80代)の面倒を見るために仕事をやめざるを得なくなり、生活保護を申請するも通らずに生活苦から母親を殺害した介護殺人事件になります。
裁判の判決では、認知症の母の面倒を苦労しながらみていたという理由から異例ともいえる”情状酌量”による懲役2年6月の執行猶予3年(刑務所に入らなくて良い)の温情判決となりました。
それから約10年後の2015年…
息子(長男)さんへの取材を試みた方がいたようなのですが、
康晴さんはすでに、この世からお亡くなりになっていたようでありました…
死因は「自殺」
だったと言います。
滋賀県大津市にある琵琶湖(びわこ)大橋から
自らの身を投げて自殺してしまいました…
見つかった死体付近には小さなポーチが残されていました。
ポーチの中にはお金が入っていたのですが、
この時の所持金は
”わずか数百円”だったといいます。
さらにメモが残されており、
そこには…
「母と一緒に焼いて欲しい」
というメモ書きと一緒に
母親と自分の”へその緒”
が、セットで見つかりました。
このお話はフィクション(作り話)でも何でもなく本当にあった介護事件になります。
とても考えさせられる内容と同時に絶対に忘れてはいけない1つの出来事だと思っております。
誰もが思わず、自然と涙もこぼれ落ちてしまう程までに考えさせられる「事故だった」とも思っています。
個人的には体が不自由な方・ハンディーキャップの障害を持った方や
こういった本当に困って死ぬ物狂いで大変な思いをされている方々の所に、しっかりと福祉がいき届き、お金を沢山かけたり、税金を沢山使ってもらいたいという切なる想いがあります。
康晴さん一家は生活保護がもらえなかったとありましたが、どうにも気になってしまいますね。
自治体(市役所/区役所/市区町村役場)の福祉担当者による困った方々に対しての接し方と言いますか?
困った方々の気持ちを理解してしない = 親身になろうと努力もせずにノウノウと事務作業を進めているだけで高圧的な態度を取るような輩(ヤカラ)は絶対に許される行為ではありません。
なんと言いますか?
自分の格下だけにしか攻撃出来なかったり
弱い者いじめや、弱い者だけに威張り散らしたりするような人達と一緒で
最高にカッコ悪い行為
だと思っています。
個人的には人として最低・最悪な行為「No1」だと思っています。
そんな時には「弱きを助け強きを挫く」を信念にして、困っている方に手を差し伸べて助けてあげる事こそが何よりも大切な事であると心の底から思っております。
それが”人”という漢字に由来する通り、
「人と人が支え合っている」
という本来あるべき姿だと個人的には思っています。
これは男としてではなく
”人として最高にかっこいい行為”
なのだと断言出来ますね。
その先に、どんな理不尽(不理屈)な事があろうとも
これは心の底から絶対に間違いない事であります。
この人類において
絶対に間違いがない事が1つあるとするならば、
まさに、この事であると100%の「自信」を持って断言できます。
その一方で…?
弱い者にしか強く威張(いば)れない行為というのは
唯一、人として許せない行為だと思ってしまいますね…
胸にグッと熱くなる怒りのような気持ちがこみあげてしまいます。
自分の体温が高いだけなのか?
なぁ~んか許せない気持ちになってしまうんですよね。
なぜなら、自分も同じ困った人たちの立場になって考えた時に頼る人が誰一人おらず、帰る場所もない状況に立たされて、尚且、人が最後の最後で頼りにしている所の生きる生命線であるべく
生活保護の福祉事務所から最悪な対応をされた日には、一体どんな気持ちになるのだろうか…?
と真っ先に自分の事のように頭に思い浮かんでイメージしてしまったからであります。
こんな最悪な状況に立たされた日には
・余裕もなくなり
・さらには自分を見失ってしまい
・周りの事なんて、これっぽっちも考えられなくなり
それこそ、攻撃的な方だったら
「自分だけ死ぬなんて馬鹿らしいな」
「死ぬ前に社会 = 周りの人(奴ら)を巻き込んでやろうじゃないかっ!」
という気持ちにもなってしまうのも致し方がない事なのだと思います。
少なくとも心に余裕がなくなった日には、誰もがそうなりえるという事なのだと思います。
それが近年、特に多かったとされるテロ事件と言っても過言ではない多くの集団を巻き込んでしまう無差別殺傷・刺傷事件(ししょうじけん)& 放火事件の影響なのだと思います。
※ 2021年~2022年度は犯人を模範(参考)とする多くの無差別殺傷&放火事件がありました。
もう現実化してしまっています。
でも、康晴さんは”優しい心の持ち主だった”からこそ、母親を含めた自らを追い込んでしまう結末になってしまいましたが…
それを考えた時には、どうしても許せない気持ちになってしまいますね…
少なくとも「明日は我が身」で他人事の話ではないですね。
※ 80-50の介護問題を除いてもですね。
ただでさえ、明日も食べる物に困っているという絶望的な状況なのに、さらに福祉の担当者から追い打ちをかけられた日には…
国が最低限の生活を維持するために保障してくれる生活保護制度 = セーフティネット制度の意味すらもなくなってしまいます。
※ セーフティネット = 予め予想される危険や損害の発生に備えて、被害の回避&最小限化を図る目的で準備される制度や仕組みを言います。
もはや…「生活保護制度」が何のために存在するのかも?
疑いたくなるレベルになります。
そして、福祉の担当者が困った方への対応を見直さない限りは
結果的に「無差別殺人(テロ事件)」となって
自分たちの見に被害となって返ってくるんだなぁ~
と改めて勉強させられますね。
人が簡単に”死ぬ”なんて言葉は言ってはいけませんが…?
それこそ、康晴さんの気持ちと行動が痛いくらいまでに理解する事ができます。
明日は我が身と申し上げました通り
既に事例として苦しんでx2、もがいて、悩んだ末に
致し方なく”死”を決断した方の気持ちは……
福祉担当者には「理解できるのかっ!(怒)」と強く言いたい所であります。
なぜなら、既に取り返しがつかないまでに”人の命”が亡くなってしまっております。
絶対に京都伏見介護殺人事件のような同じ過ちを繰り返してはいけないと思います。
それが今出来るべき、せめてもの対策 & 救いなのだと思いました。
その意味でも生活保護制度の見直し(一定条件で自動許可申請)or ベーシックインカムの実現
※ ベーシックインカム = 全国民に一律で毎月6万~8万を配布/社会保障を残すといった色々なパターンの案があります。
さらには困った方々への福祉制度を充実化する必要性がありそうな気がしております。
ついつい他人事とは思えないくらいまでに熱くなってしまった事により、話が脱線してしまいまして、誠に申し訳ございません。
話は事件に戻りまして
最終的には康晴さんも悲しい結末になってしまいましたが…
法廷という慣れない環境にて多くの人が見ていて緊張している中、
「母のことが大好きでした」
「もし生まれ変われるのであれば…」
「もう一度、母の子として生まれたい」
これらの言葉が康晴さんの口から自然と出る事自体が
もう、この事件の
”全てを物語っている証拠”である
と同時に
康晴さんに「罪はない(何も悪くない)」
お母さんも決して「悲しんでなんかいない」
と個人的には思ってしまうくらいでありました。
何よりも息子さんから心の底から出たとされる
”本音”と”涙”に対して
お母さんは
きっと天国では「喜んで満足している」
のではないかと誠に勝手ながら思ってしまいました。
少なくとも当方が康晴さんのお母さんと同じ立場なら
これほどまでに
息子から言われたい
嬉しい”感謝の言葉”なんてない
と素直に思ってしまいました。
今回の京都介護殺人事件については
例え、”記憶喪失”や”認知症”になったとしても頭のどこか片隅で、かすかに覚えている自信があります。
それ程までに絶対に忘れることはないだろうと思ったくらいまでに当方の中では”衝撃的な事件”ではなく、1つの記憶に残る出来事となりました。
最後に人として絶対に忘れてはいけない
もっとも大切なことも一緒に教えてくれているとも感じました。
ぜひ1つの参考にして頂ければ幸いです。
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