野々村議員の号泣記者会見で新発見(注意編)
● 野々村議員の号泣記者会見で新発見(注意編)
暴言は自分の弱点と判明(号泣記者会見で証明)
注意喚起をはじめとして
ケンカ & 口論時に発してしまう
暴言 = 人への悪口(攻撃的な言葉)は
自分自身に対しての「最大の弱点だった(鏡)」
という事が分かりました。
人に対して批判 & 悪口を言っている人は
自分が一番言われたくない
言葉を使っている
という言葉を聞いた事がないでyそうか?
常日頃から頭の片隅で
無意識に考えているからこそ
言葉として自然に発するとも言えます。
ある意味では心に余裕がない(現在の精神状態)での
”嫉妬心”も悪口・批判へと関係しているかもしれません。
その分かりやすい根拠(事例)として
皆様も一度は見た記憶があるかもしれない身近な例で
見事なまでに立証(証明)されておりましたので、簡単に紹介させて頂きますね。
その名は…
今から約10年前の
2024年7月の出来事として
野々村竜太郎元議員による
前代未聞の「号泣謝罪会見」になります。
当時リアルタイムで見ていた方でしたら
いまだに記憶として焼きついている方も多いと思います。
簡単に紹介させて頂きますと…?
あ~~あ~っあ~~~
うぅはーぁー(突然、泣き出します)
このよ…
ふぁはーうはぁーーー!(大げさなまでに泣け叫ぶ)
うあーぁーあーーー!
(さらに大げさなまでに泣け叫ぶ)
うあーぁーあーーー!
このぉよぉっきゃ
うあぁっーーーー
この世の中を
(ここからリズムカルに)
やっと議員に
なったんですぅわ!!!
(強く主張)
元兵庫県議の野々村竜太郎議員(当時47歳)が
何をしたのか気になっている方も多いと思います。
詳しくは野々村竜太郎議員の号泣記者会見で解説しております。
この会見の中で、絶対に見逃してはならない
とても印象に残るワンシーンがあるのです。
会見を開始する直前に
昨今、ヤジ・失言・暴言
(さっこん)
というものが社会問題になる中、
質問に かこつけた暴言や恫喝というような形で
私が怖いなと感じた時点で
この記者会見は打ち切りさせて頂きますので
なにとぞ 平常心 を持って
質問をしていただけますように
お願いを申し上げまして
記者会見の質問をお受けしたいと思います。
記者の方々には
平常心 をもって質問をお願いします。
と言っておきながらも…?
見事なまでに
自分自身が平常心を保てずに
一人芝居の興奮状態になってしまいました。
この事から
人への注意喚起をはじめとして
些細な出来事がきっかけで始まる
口論・喧嘩・トラブルを含めまして
人様に対して何かを注意したり
「攻撃的になった言葉」や「悪口」というものは
自分自身に対しての最大の弱点だった!
という事が証明された日となりました。
これこそがまさに自分自身を映し出す「鏡」とも言えそうです。
これらの方法を逆手に取りまして
自分の事を”第三者目線から客観視”する事が可能となりまして
さらに最大の弱点を知る事が出来て見つめ直す方法にも使えるかもしれません。
よくありがちなケースとして
何らかの後ろめたさだったり、やましい事がある人間ほど
あえて、その内容について自ら触れてヒントを与えてきます。
まるで「自分がやってしまった」という事を分かりやすいまでに自白しているようにです。
事件が起きた直後に犯人が再び事件現場に戻ってきてバレて捕まるパターンに通じるものがあります。
これは、あながち間違ってないのかもしれません。
なぜなら、人と口論になった際に
誰もが言いかねない小学生並みの
捨てゼリフの暴言・悪口より
「バカ」「アフォ」
「クソ野郎」「クズ」
「なんか頭悪そう」「臭そう」「ハゲ」「デブ」「死ね」
という暴言(言葉自体)が
まさに”自分自身の事を言っている最大の弱点”だった!
よくありがちな典型的な例として
人間というものは無意識の内に自然と意識しており
自分がバカで頭が悪い事を
コンプレックスに感じて気にしているからこそ
無意識の内に人様に対して「バカでしょ?(頭悪い)」
という言葉を発してしまうようなのです。
当方ではコンプレックスの1つや2つ持っている人の姿が実に「人間らしくていいなぁ~」と思っておりますので、あえて相手の良い部分を知れる良い機会とも思っています。
でも、近年ではトラブル時によく聞くようになった「臭そう」「口臭いですよ?」という言葉ついては
相手に最大限の屈辱を与えつつも攻撃性があるという事が多くの方に周知されておりますので、あえて攻撃性が高い言葉をチョイスして選んでいるとも言えます。
生まれながらにして、どうする事もできない「体臭のワキガ」のようにです。
※ ワキガの恐ろしい所は何度、手術を繰り返してもニオイが元に戻ってしまうくらい驚異らしいのです。
もしくは、ワキガの人は、それ以上までに臭いのケアをしつつも、本当に体臭(口臭)を気にしている可能性も否めません。
これには思わず、香水の臭いが強い人ほど”ワキガ率が高い”とも言われかねない事態です。
これらの言葉の裏を返せば…?
逆に自分が”好きな言葉を多用している”
のではないかとも言えます。
近年流行りの論破王ではないですが…
いざというトラブル時には
徹底的に相手を潰してやろうとする
相手の弱点を突くのが好きだからこそ
自己防衛として「攻撃性が高い言葉を選んでいる」
のではないかとも言えます。
徹底的に相手を困らせてやろうとする所に性格の悪さが滲み出ている人物像とも読み取れそうです。
「ハゲ」「デブ」という言葉については
常日頃から相手の容姿をいじり倒すのが好きな方とも言えます。
唯一、該当しなかった「死ね」という言葉においては
単純に頭に血が昇ってしまった事で、とっさに発してしまう言葉とも言えそうです。
もしかしたら、自分自身が「死んだ方が良い」と常日頃、意識しているせいなのかもしれません。
いずれにしましても
この事から口論になって
とっさに口から出た暴言(言葉)が
自分自身の”好きな言葉”でもあり「最大の弱点だった!」
と覚えておくと良いかもしれません。
つまりは
一度でも相手と口論・喧嘩をする事で
相手の「最大の弱点」を知ることが出来ます。
という事を意味しております。
これらの内容につきましても同様となりまして
常日頃から悪口を言い放っている方も共通しておりまして
まさに悪口の内容そのものが
自分のことを物語っているようであります。
本人が自覚していないであろう潜在意識の有無に関わらず
現在~昔にかけて自分が頭の中で考えつつも
本人が一番気にしているコンプレックス内容を自然と悪口として出てしまう。
という事であります。
これらの内容から悪口に因果関係があるのかどうかの真相は定かではないですが…?
少なからず自分と何らかの似た関連性やら
関係性がある事に間違いなさそうです。
なぜなら当方でも、ふと気づいてしまったのですが…
ブログ内では自然とキチガイ・愉快犯・サイコパスという言葉を好んで多用しており、まさかの自分自身がサイコパス要素を持ち合わす”キチガイ&愉快犯だった!”という衝撃事実が発覚しかねない事態となりました。
※ きちがい = 気が狂ってしまった人で、精神がまともな状態ではなく、正常ではない言動を繰り広げる事を言います。現在テレビでは不適切表現のよろしくない言葉として扱われています。
※ サイコパス = 悪い事をしても心が傷まず、何とも思わずに何食わぬ顔をして平然と日常生活を送っている反社会性の偏った考えを持った人の事をいいます(他人への感情&愛情の思いやりがない人)
※ 愉快犯 = 個人&社会に対して世間を騒がせる事によって快感を得ようとする人の事を言います。誰にもバレないように影で、人が混乱したり慌てふためく様子を観察&想像して楽しんで喜ぶ人の事を言います。
さすがに当方ではキチガイやサイコパスまではいきませんが、愉快犯のように人の反応を見ておもしろがるで言う所の人々に笑顔になってもらうために悪ふざけ(悪ノリ)をしてしまう一面はありえるかもしれません。
少なくとも愉快犯の方々を、ついつい面白がって笑ってしまったり、一人でも多くの方へ笑いを伝えたいという言動はあります。
この事から愉快犯による良心バージョン(良い意味でのサプライズVer)の許容範囲内であると願いたい所であります。
本音を言いますと、変な人物ではないですが、この世の中には、とんでもない人物がいるという事を知らせたいと同時に、面白がって使っておりますので、ある意味では「好きな言葉」とも言えます。
でも、真面目な話をしますと…?
ストーカーでも同様な事が申し上げられますが、真のキチガイやらサイコパスと言われる方々は自分がそうであると認識していない所に本当の怖さがあります。
洗脳と同じレベルにて自分自身を客観的に見れておらず
まともだと思い込んでいる所に「脅威」を感じます。
まさに詐欺師に騙されないと思っている人ほど簡単に騙される傾向に高い話に通じるものがあります。
これは認知症になってしまうよりも100倍の恐怖感となっております。
そんな余計な事はおいておきまして
近年、若者の間で話題になっているであろう「港区女子」「親ガチャ」「おばさん構文(おじさん構文)」といった言葉は個人的にあまり好きではないので、使いたくもないと思っておりますが、、、
このように人には「好き」と「嫌い」な言葉もある通りとなりまして
やはり…”自分の弱点”の他に自然と”好きな言葉を多用”している一面もありそうです。
つまりは、好き嫌いの要素も大きく関係(影響)しているのかもしれません。
上記の内容に関連しまして
ふと気づいてしまったというよりは確実に1つだけ判明している内容として
最低・最悪の弱いものいじめする者をはじめとして、DVこと女性に手をあげる人物像といった輩においては”自分が弱い人間故”に弱い相手にしか攻撃できなかった!
という話に通じるものがあります。
なぜなら、本当に強い人間は決して
弱い者いじめや女性に手をあげないからであります。
むしろ自分よりも強い者を探し求めて相手にするからですね。
これらは当方の周りの経験談を含めまして、絶対的に間違いないと言える内容となります。
似たような参考例として
近年流行りの無差別犯による「(殺されるなら)誰でも良かった」と言う人物に限って相手を確認して見た目で判断してから”自分よりも力の弱い相手しか狙わない”のも、これまた定番であります。
余談が長くなってしまい大変恐縮でありますが、
唯一、野々村竜太郎さんの偉い所は
最後の最後で感情的になってしまった事を
きちんと謝罪しているシーンも見逃してはなりません。
悲しい事に…野々村さんの号泣会見の解説の多くは
よくありがちな切り抜き報道のごとく
肝心な良い場面が見事なまでにカットされています。
最初に記者会見で私自身
感情的にならないように
記者の皆様にご注意申し上げましたのに
自分、自ら感情的になりました事を
お詫び申し上げて 記者の質問にお答えします。
まことに感情的になって
申し訳ございませんでした。
この直後、きちんと立ち上がって
頭を下げて謝罪をしているのです。
このように大げさなまでの一人演技で
全国民に恥を晒して笑いを取りつつも
人道を踏み外してしまったとしても…?
自分の過ちである”非を素直に認める”といった
人として「素直に謝れる大切な心」を絶対に忘れてはなりません。
なぜなら正直でいる人には誰も敵わなかった(素直は最強の武器)だからであります。
その理由の1つとして、
無差別テロ事件を起こしてしまった元死刑囚の麻原彰晃さんですら”素直に自分の負けを認めている”くらいなのです。
オウム真理教の麻原彰晃さん 素直に負けを認めていた(選挙編)
名前は忘れてしまったのですが、
今から数年前に嘘八百を並べて
インタビューを受けている教授だったかを思い出しました。
カメラとマスコミに注目されるのが嬉しく快感のような方で、
逆にマスコミを利用した面白い方でした。
ぜひ1つの参考にして頂ければ幸いです。