アントニオ猪木さんが死去(過去の闘病歴)

● アントニオ猪木さんが死去(過去の闘病歴)
「元気ですかぁ~~~!」
「元気があれば何でもできるっ!!」
「1、2、3、ダァーーーーッ!!!」
でお馴染み”燃える闘魂”こと
元プロレスラーのアントニオ猪木さんが
2022年10月1日(土)午前7時40分
自宅で息を引き止め、お亡くなりになりました。
猪木さんは急激に体調が悪化した訳ではなく
徐々に衰退して最後の日を迎えられたようです。
年齢は「満79歳」でした。
ちなみに亡くなる前夜の9月30日夕食後、
最後に口にした食べ物は
誰もが知っている赤城乳業のアイスで
「ガリガリ君 ソーダ味」という事でした。
本名の名前は珍しい漢字で、
猪木 寛至(かんじ)さんと言います。
近年は難病「全身性アミロイドーシス」で闘病生活を送られてました。
※ 全身性アミロイドーシス = アミロイドと言われる異常なタンパク質が全身の臓器に貯まっていき、全身が弱り心不全・不整脈の息切れ・失神の症状を起こして命の危険に関わる病気になります。
その他、腎臓・消化管といった異常なたんぱく質が住み着く場所によって症状が異なります。
プロレスラーの力道山にスカウトされ付き人を経験。
理不尽な事でボコボコにされながらも見事に耐え抜き
1960年にはプロレスラーとしてプロデビュー
1962年からリングネーム「アントニオ猪木」と名乗っています。
1972年に人気絶頂だった「新日本プロレス」を旗揚げして
1976年に異種格闘技の現役ボクシング世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリと対戦。
1989年には国会議員になりました。
スポーツ平和党を立ち上げて参議院議員を2期務めました。
湾岸戦争前にはイラクに乗り込み「人間の立て」とされた日本人開放に力を入れ
あの北朝鮮には33回も訪問して独自の外交を進められました。
1998年4月にプロレスラーを55歳で引退されています。
引退後はUFO・PRIDE・年末年始の大イベント INOKI BOM-BA-YEの団体の格闘技イベントの盛り上げ役として活躍されました。
それからの活躍はテレビでご覧の通りになります。
2022年3月には病気を患った猪木さんの闘病生活に密着する
燃える闘魂 ラストスタンド(NHK)に出演していたのですが、あまりにも変わり果てた姿に「別人」だと世間では話題になってました。
アントニオ猪木「最後の闘魂」としてYoutube動画もやられています。
更新は3ヶ月前の2022年6月27日で、途絶えています。
最後に公(おおやけ)の場で姿を見せてくれたのは



2022年8月28日(日)
日本テレビの「24時間テレビ」が最後だったようです。
アントニオ猪木さんの闘病歴として
・1982年: 糖尿病(国会議員になってからは素直にインスリン注射に頼るようになり体調良好に)
・1991年: 通風を発症(この年は1試合もできず)
・2009年: 腰の大手術(死亡説を”腰の完売(越乃寒梅)”というダジャレで一掃)
・2018年: 2回目の腰の大手術(恐らく失敗と言われており、この時から車椅子が多くなる)
・2019年: 全身性アミロイドーシスが判明(難病になりますが、薬で制御可能)
・2020年: 年末に激しい腰の痛み → 敗血症(劇的に弱った主因と言われております)
・2021年: 腸捻転(腸が捻れて長男物の通貨が停止してしまった腸閉塞の一種)
・2022年: 新型コロナウイルスに感染
猪木さんの若かりし頃になります。
ジャイアント馬場さんと一緒にいます。
師匠である力道山の後ろにいます。
この奇跡の一枚は昭和時代の
漫画キャラクターに出てきそうな風貌をしています。
あまりご存知ない方も多いと思うのですが、
アントニオ猪木さんには弟さんがいます。
猪木 啓介(けいすけ)さんのツーショットになります。
アントニオ猪木さんが亡くなられた事を受けて
ネット&SNS上の世間の声では
猪木さんの名セリフである
「元気」があれば何でもできるっ!
ではないですが、
近年の相次ぐ値上げブームの影響を受けてなのか?
「現金」があれば何でもできるっ!
と言う方が現れるくらいでした。
しまいには
便器があれば、うんこができる!
と上手いこと言う始末でありました。
猪木さんと言えば…?
レフリー(審判)なのにも関わらず
この”逆ギレシーン”も見逃せません。
猪木さんは闘魂だけに熱くなりやすい性格なのか?
何事にも真剣になってしまわれるのか?
感情的になりやすいのか?
このように突然、何を仕出かすか?
猪木さんの分からない所が最大の見所になっています。
普段は礼儀正しく温厚だとは思うのですが、
一方的に何かされた日には大変キレやすい性格なのかもしれません。
当時、テレビ出演された際に
一般人に対しても問答無用で
本気でキレているシーンではないですが、
”マジギレする瞬間”を何度も目の辺りにしています。
いずれも全て「逆ギレのパターン」が多かったです。
小川直也さんが怒りを収めようと一生懸命なだめてました。
猪木さんの有名な名言については
人は 歩みを止めた時に
そして、挑戦をあきらめた時に
年老いていくのだと思います。
この道を行けば どうなるものか?
危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せば その一足が道となり
その一足が道となる。
迷わず行けよ 行けばわかるさ!
マイクを持ちながら
しゃがみ込んだ状態から
お腹から精一杯の大声で
ありがとうーーーーーーーっ!
1、2、3、ダァーーーーッ!!!
最後に元気だった頃に
ふとした瞬間に見せてくれた
アントニオ猪木さんが不安げな表情を見せた試合も忘れてはなりません。
ぜひ1つの参考にして頂ければ幸いです。
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